イエスは彼らに言われた。
「さあ来て、朝の食事をしなさい。」
ヨハネ 21:12
クリスチャンはみな、一つの霊的食欲を持つ。
私たちはみな同じように感じることができなくても、同じように天から下ったいのちのパンを食することができる。
イエス近く歩め。
そうすれば、同じ天のマナで支えられているあなたの兄弟と、さらに密接に結ばれていることを見いだすであろう。
キリストを見つめることは生きることである。
しかし主に仕える力を得るために、あなたは「来て、食事を」しなければならない。
私たちはこの主の教訓を無視するために、多くの不必要な弱さの中に労苦する。
あなたがイエスに近づき、一体となり、その民を愛し、イエスによって力を得ようとするならば、信仰によって主のもとに来て、共に食事をとれ。
C.H. スポルジョン 『朝ごとに』より
今朝のスポルジョンの説教、いかがでしょうか。
私は、最も弱い部分、苦手を突かれて、今朝も倒れんばかりに参っております。なるほど、本当にそうなのだと思います。
「私たちはこの主の教訓を無視するために、多くの不必要な弱さの中に労苦する。」
この言葉こそ、まさに、私の疲れの原因の答えであることを認めなければなりません。
育った家族との食事、夫との食事、夫とふたりで作った家族との食事、気の合う人との食事、勤めていたあちこちの幼稚園での同僚たちとの食事、このような食事で感じる幸せを、私は、一度でもキリストの教会で味わったことがあるだろうかと、厳しく自問してみています。
聖餐とはキリストの私への約束の確認のおもてなしであるからと、毎月、ハンコをもらうかのような気もちで受けてはいなかっただろうかと。
安息日は神さまの私への聖なる贈り物であるから、どんなことをしてでも、守らねばっと、毎週自分の信仰を証明するかのように教会に行っては奉仕をしていないだろうかと。
イエスさまは、今朝、私に言います。
「さあ来て、朝の食事をしなさい。」
☆写真は夕べのタコディナー
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