Friday, October 8, 2021

とどまるべき時、すすむべき時

あなたがたはなぜ、主の命令にそむこうとしているのか。
それは成功しない。
上って行ってはならない。
主はあなたがたのうちにおられないからだ。
民数記 15:41,42

44節、「それでも、彼らはかまわずに山地の峰のほうに上って行った。しかし、主の契約の箱とモーセとは、宿営の中から動かなかった。山地に住んでいたアマレク人とカナン人は、下って来て、彼らを打ち、ホルマまで彼らを追い散らした。」
注意して読んでみて気づいたことだけど、悪い噂に惑わされて、ネガティブになっていた人々が、急に主に従わなくてはと、取るものも取りあえず、という感じで出陣して倒された理由、それは、神さまの業ではありませんでした。
アマレク人とカナン人に倒されたのです。
なぜでしょう。
主が共におられなかったから。
すごくわかりやすいシンプルな構図だけど、私にはすごい発見です。
神さまは、そんなに簡単に、私たちの道を閉じたり阻んだり、あるいは開いたり担ぎ上げて放り投げてくれたりするわけではないのです。
ただ、難しいのは難しいまま、でも、共にいてくださるから、通ることができたり、逆に、簡単そうに見えても、主が共におられないなら、通ることはおろか、一歩たりとも足が前に出なかったるするのだな〜、とそう思いました。

 

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