キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。
2コリント 5:14
購い主に、口先だけの礼を言ってはならない。
主がおいでになる時、あなたは主のために何もせず、あなたの愛をため池のように閉じて、貧しい主の民に注ぎ出さず、また主の働きのためにも流し出さなかったと告白しなければならないとすれば、あなたはどう感じるか。
このような愛を追放せよ。
愛は奉仕する者の足に翼を与え、働く者の腕に力を与えるものである。
神に対する揺るがぬ節操を保ち、不動の決意をもって神をあがめ、うむことのない熱情をもって前進し、こうしてイエスに対するひたすらな愛を表明しようではないか。
C.H.スポルジョン 『朝ごとに』より
本当にこのみことばの通りです。
「キリストの愛が私たちを取り囲んでいる」から私たちはもう、人間的な標準で人を知ろうとはせず、人間的な標準でキリストを知ろうともしない。
すなわち、人間的な価値基準に縛られて、本当の楽しみや喜びを逃すことは、もはや、もったいなさすぎでできない生き方に変えられてゆくのです。
神さまはいつも、私に、家庭生活、教会生活と共に、働く喜び、働く場所を与えようとしてくださってきた。
いつも、いつも。
私にとってそれがとっても大切なことであるように、神さまにとってもそれは大切なことなのだなっと思って、本当にうれしくなりました。
これから、どんな風に導かれてゆくのだろう。
神の愛をため池のようにためてはいけない。
神さまの愛を流す川のようになろう。
いつも、どこに流すかを考えよう。
どんな風に流すかを真剣に考えながら、歩みを進めてゆこう。
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