自分の心を制することができない人は、
城壁のない、打ちこわされた町のようだ。
箴言 25:28
私たちを苦しめる罪悪感の多くは「相手を喜ばせたい病」から生じているそうです。
これは自信のなさに起因していて、周りの人々の意見に対する恐れともつながっています。
「すべての人を喜ばせない」という思いは、自己主張とは相容れないものです。
それは攻撃的、または受け身の言動として現れ、私たちの人生の対人関係に不要な苦痛を生じさせます。
気づいたら「口のきけない人形」か、「手に負えないヒステリー」のどちらかになってしまうのです。
そうなったとき、周りの人にはわけがわかりません。
平和をもたらすということは、もめそうになったとき、問題が存在しないかのようにふるまったり、相手と話し合うことを恐れて、そこから逃げ出すことではありません。
対立を収めるとは、相手をなだめることではなく、平和をもたらすとは、論争を避けることではないのです。
自己主張とは、自分の考えや感情、要望や必要などを正直に、相手に敬意を払いながら伝えることです。自己主張しなければ、あなたの態度は、受け身か攻撃的かのどちらかになります。
自己主張するとは、自分を大切にし、正直で、しかも周りを傷つけないことだと理解している人はほとんどいません。
それは、毅然として物怖じせず、冷静で落ちつている、ということです。
このような態度でいるなら、困難な状況でも、前後の見さかいなく突っ走ったりせずに対応できます。
自己主張できる女性とは、自分の権利のためには確信を持って立ち上がり、自分や人の領域を侵さず、他人への思いやりを示しつつ、ここまで、という限度は守ります。
こういう人は、自然に周りから敬われ、高く評価されます。
意見が対立する状況で、人間性を攻撃することなく、相手の行動に対しては毅然とした態度を取ることができるのです。
正しい動機で行われるなら、本当の自己主張はいつでも、人間関係に立ちはだかる壁を打ち壊し、どんな嵐にも負けない健全な関係を築くためのしっかりした土台を据えるのです。
スー・オーガスティンの『過去の傷がいやされるとき〜埋もれている夢を掘り出す21日間』より
自己主張していますか。
私は、かなりしていると思う。
だから、ポリシーがないとできないようなことなどを、無理強いされてやったり、勝手に時間を持って行かれたりなどということは、ほとんどありません。
時間を急に変更されたりしたら、大抵、別な日に約束し直します。
相手が権威の人であっても、家族であってもそれは同じ。
その方がお互いに気分よく大切な時間を再び楽しみにできるので、そうするのが好きなのです。
☆写真はなんの変哲もないテレビ
でも、昨夜より大きくなっているのです!
テレビが成長した????
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