Tuesday, March 29, 2022

子どものように

子どものように神の国を受け入れる者でなければ、
決してそこに、入ることはできません。
マルコ 10:15

今朝のJoel の私へのメッセージはこのみことばの一つ前の節から、子どもたちのために時間を惜しまなかったイエスさまに倣って、「時間や労力を惜しんで愛する機会を逃すべからず」という内容だったのだけど、私は、今朝、なぜか、この次のみことばに、めちゃくちゃはっとしたのです。
この箇所を、子どものように純真ではならないと勝手に思い込んでいたけれど、良く見ると、いえ、良く見なくてともそうではなかった。
「子どものように神の国を受け入れ」なくてはならないのです。
ああ、そりゃそうでしょ〜とも、イエスさま。
子どもほど邪な人生の季節はないとさえ、私は思っていて、子どもの邪(よこしま)な心が、おもしろくって、大すきすぎて、ついに、その(自称)研究家にもなってしまった私は、なんだかとってもうれしくなりました。
けたたましい声をあげて、拳をにぎりしめ、怒りながら生まれて来る赤ちゃん。
生まれても文句ばっかり言って泣く子どものどこが、純粋で真理に親しく聖いのかと、いつも、んん?思っていたのです。
あ〜、すっきりした!

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