Saturday, March 5, 2022

Chapter 15 Tomorrow

 


だから、あすのための心配は無用です。
あすのことはあすが心配します。
労苦はその日その日に十分あります。
マタイ 6:34

あなたはまっさらな始まりの門戸に、未来に向けて立っているのです。
心配しようとしまいと未来はやってきます。
違いは一つだけです。
心配していると、明日に対する楽しみと喜びを逃してしまうということです。
心の底では、心配すればするほど、思いやりや気遣いのある人のように見え、自分のイメージが良くなると思っているのです。
不安や焦りに生きることと、優しさと思いやりを人に示すことは違います。
心配と信頼は両立しません。
どちらを育んでいきたいですか。
自分にこう問いかけてみることです・・・「一年後の私にとってこのことはどういう意味があるんだろう? 五年後だったら? 永遠という視点から見たとき、眠りを奪い、人間関係を壊し、自分が病気になるほど、心配する価値があるものだろうか」
スー・オーガステインの『過去の傷がいやされるとき〜埋もれている夢を掘り出す21日間』より

昨日、日本時間の土曜日の午後、母は3回めのワクチンの接種を無事に終えました。
素晴らしい連携プレーでした。
デイサービスの方に病院まで送っていただき、ケアマネージャーが接種に立ち会ってくれ、そして、彼女がタクシーを呼んで一緒に家まで帰ってくれて、しばらく様子も見てくれました。
そして、ご近所さんも夜は様子を見に来てくれました。
私は、ただ祈ることしかできませんでした。
全て、神さまとサポートチームのおかげです。
神さま、本当にいつも、母に良くしてくださり、ありがとう。
これからもよろしくお願いします。






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