主はご自分の羽であなたをおおわれる。
あなたは、その翼の下に身を避ける。
主の真実は、大盾であり、とりでである。
詩篇 91:4
恐れで、凍りついてしまったままの人が大勢います。
恐れは社会に蔓延し、夢を損なう何よりの原因になっているようです。
私たちは、何かが終わることにも、始まることにも不安になります。
変化を怖がり、身動きできなくなることは恐れです。
恐れを認め、神様の前に正直になりましょう。
神様を信頼し、神様の約束を信じ、信仰に基づいて選択し、一歩踏み出すのはリスクが高く、恐ろしくてたまらないかもしれません。
けれどもそれは、変化も起こせず、無気力を抱きながらその状況にとどまり続け、そこから生じる恐れになんとか折り合いをつけようとするよりはましです。
達成できるかという恐れ
何よりも大切なことは、自分の野心を明け渡し、「私の思いではなく、あなたのみこころの通りになりますように」と祈ることが問われているのです。拒絶されることへの恐れ
群れから離れて、他人と違うことをしようとすれば、批判は避けられません。
そうすることは、批判の的になるのだということを覚悟しておいてください。
人生の進行方向を変えたいと思うなら、思いがけないことに驚かされないように、どっしりと構えていてください。
失敗することへの恐れ
失敗やつまづき、間違いは、避けることのできない現実です。
失敗した後、自分に何を言うかはかなり重要です。
希望なんかないとくり返す代わりに、次のふたつの方法を実践してください
①この経験から、どんな教訓を得たのだろう
②この次は、どんな違うやり方ができるだろう
実に、成功よりも失敗からのほうが学ぶことが多いものです。
勇気をもって未来に向かって進んでください。
神さまは、あなたが恐れから解放されることの望んでいます。
選択肢は常に、あなたの手ん中にあるのです。
スー・オーガスティンの『過去の傷がいやされるとき〜埋もれている夢を掘り出す21日間』より
どんな恐れと闘っていますか
私の恐れは、この中にはありません。
私の恐れは、とても非現実的なので、あまり日常的に恐いと思うことはないけれど、でも、それがやってくると脂汗をかくほどに怖いです。
一番怖かったのは賢人を生んだ後の半年ぐらいで、いつも彼が死んでしまうのではないかという恐怖と闘っていました。
結婚する前は日本の高速道路のトンネルが怖くて、反対車線に飛び込んで恐怖を終わらせたいほどでした。
子どもの頃は、先生に「静かにしなさい」と言われるとすごく怖かった。
咳やクシャミが出たらどうしようと思って、口を両手でふさいでこらえていました。
最近は、脂汗をかくほどの恐怖はなくなったけれど、未だにピアノの準備不足や職場に遅刻しそうな夢をみます。
スーは、この手の恐れについては何も書いていないし、実際、こういう恐れについて書いている本に出会ったことはないので、自己流なのだけど、私は、「イエスの御名によって、命じる、サタンよ、私に近づくな、私を見るな、私を知るな」と言うことにしています。
夢の中でも、これには大変大きな効果があります。
本当に。
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