Tuesday, June 13, 2023

祈りの証


わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福しよう。
創世記 26:3

今朝は、プールで、神さまがくださったもの、良くしてくださったことを、この地上の命から数えながら(数え切れないと思いつつ)感謝のお祈りをささげました。
日曜日の礼拝で、私たちの持っている良いものは、祈っていないものばかりではないですか?と牧師に熱く語られ、心からアーメンと思ったから。
今思えば、メッセージのテーマは、「聞かれないと思われるその祈りの周辺にあるみこころ」であったのかもしれません。
私には何気なく一度だけ祈ったり、半ば習慣として機械的に祈り続けていて、ある日、祈っていることすら忘れそうになった頃にきかれたてしまった驚きの方が多いから、あまりそのことにはフォーカスできなかったけど・・・
例えば、はなに「学びの熱意」をくださいと3年生ぐらいから祈っていたら、9年生なって、パンデミック始まっちゃてオンライン授業になったとたん、急にお勉強に目覚めちゃった、とか。
でも、心の中では、「彼女はたくさんの良いお友だちというもっと尊いギフトをいただいているし、お勉強まったくダメだけど、学校が大すきだから、まあいいけどさ」、なんて思いながら祈っていた祈りでした。
一方、はなの妊娠中は公文式ドリルのように似たような問題が次々に起こり、そのたびに祈って乗り越えました。
全てお金の問題、請求書の問題。
例えば、新品で買った洗濯機を家の前で落とされて、それは受け取れないと夫がデイバリーの人に持って帰ってもらったのに、ちゃっかりしつこく請求されたり、などなど。
金額はまさに公文式に大きくなり、最後は出産費用を病院とお医者さんに合わせて数万ドル、でも払った全部合わせて0ドルでした
犬のじょえるが郵便屋さんを噛んだ噛まないで訴えを起こされた時は、2年近くをかけて心から真剣に祈り、数十万ドルをかけた訴訟にこれまた0ドルで報いてくれた神さま。
父の最後の5ヶ月とその後の2ヶ月は息をすうたび、はくたびに祈るような生きた 心地のしないプレッシャーの塊の7ヶ月だったけど、それは今では私の人生の中で最高の7ヶ月、かけがえのない宝となりました。
こちらも、本当に数え切れないほどです。 

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