「わたしは自分をあわれむ者をあわれみ、
自分のいつくしむ者をいつくしむ」
ローマ 9:15
「したがって事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」(9:16)とこのみことばは続きます。
平行して読んでいる創世記では、妻のサラを自分の妹と偽り、妻を自分の盾として難を逃れようとしたアブラムには何の制裁もなく、そのサラを妻として召入れようとしたパロの方に制裁が与えられる箇所を読みました。
「しかし、主はアブラムの妻のサライのことで、パロとその家をひどい災害で痛めつけた。」(12:17)
お気の毒なパロ・・・。
でも、よくある話だと思う。あれ?ってなることいっぱいあります。
悪いのワタシなんだけど、そうなっちゃうんだ、とか、間違ったのワタシなんだけど、こういう結果なんだ、とか、ワタシの問題だったはずだけど、そっちに責任負わすんだ、とかって。
その度に、私はこのみことばを思い出すのです。
そして、またもや命拾いをしたことに心が震え、神の愛に恐れを抱き、小さくかしこまって、もう間違えないようにがんばるから、どうか赦してくださいと悔い改めるのです。
☆写真は飼い主たちが別れることになって、行き場を失い途方にくれているかわいそうなとかげ(?)さんたち
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