憎しみは、うまくごまし隠せても、
その悪は集会の中に現れる。
悪は、どうしようもないと思う。
突然、何を言い出すのかと思うかもしれないけれど、悪って人の中の「部分」であって、それはそこにあるって思って生きていけるようになると、人は人にやさしくなれると思う。
そして、それこそが愛だと思う。
そして悪は、その愛が大きらいだから、対抗できる唯一の手段はそれしかないと信じたいな。
何が言いたいかと言うと、悪に対する嫌悪ほど、手に負えない、怖ろしい悪はないと思ったのです。
良いもので満ちているはずの聖なる場所にそれを持ち込むとそれは、罪人に大きな緊張やプレッシャーを発し、完全に潔白でない限り、そこに立つことを耐えられなくしてしまう恐ろしい力があると思う。全体と調和しないことは、それほど大きな問題ではないのではないかな・・・。
それ以上に問題なのは、調和しないものを排除することの方であり、またもっと怖いのはそれを「本人のため」と信じていることだと思う。
例えば、小さい人たちの集まるクラスでも、それは同じ。
発するものは何もコトバだけではないかもしれない、教師のように力ある立場ならば無言の威圧や無視というのも、もしかしたらあるかもしれない。
子どもはもちろん、大人だって純粋な人ほどその影響を受けやすいと思う。
気をつけたいと思います。
本当、本当に、怖いことだから。
☆写真は父の日のために一生懸命にお父さんの絵を描く子どもたち
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