Sunday, February 2, 2020

2サムエル 22章

主は、いと高き所から御手を伸べて私を捕らえ、
私を大水から引き上げられた。
2サムエル 22:17
私の不信仰は、大水にいたことをうっかり忘れてしまうことです。
捕らえていただいたことに気づかないことです。
引き上げられた、瞬間、まるで、水から上がった猫のように走り出してしまうことです。
ああ、確かに大水の中にいたのでした。
この2年半の私のジンクスに、「誰かがいつも私と口をきかなくなる」というのがあります。
昨年の7月からはこれが、大変にわかりやすく、まるで「お当番制ですか?」と天を見上げて、聞きたくなるほどに、はっきりときっぱりと、そして徹底的にいつも誰かが私と口をきかなくなっていました。
「いました」。
そう過去形なのです。
そのことに今朝、気づきました。
厳密に言うと、終わっていないかもしれないけれど、それがそれほど苦痛ではなくなった、と言うことなのかもしれません。
一度、お当番を免除されている唯二の人の一人にこのことを話したら、「いつか終わるよ。テストでしょ。どんな人なのかわかったら終わるよ。」と言われたことを思い出します。
一時的なお休みなのかもしれないけれど、今は、その苦痛から解放されていたのでした。
同じく22章の20節にはこうあります。
「神、その道は完全。
主のみことばは純粋。
主はすべて彼に身を避ける者の盾。」
アーメン。