Saturday, February 8, 2020

人心地と書いて幸せな土曜日の朝と読む

★おはよう。
今朝、サムエル記の最後の章の中で神さまに心触れられ、やっと人心地ついています。
私は自分の足りなさを人のせいにした挙句、自分が足りないことで人を責めていました。
どんなに人の目はごまかせても、神さまの目はごまかせません。
神さまは、決してこういうことをスルーなさらない。
私が自分の魂を砕いて、内なる霊に従うまで、決して、私を休ませない。決して。
そして、私が切望するのは、自分の怠慢が人の目にカバーされることではなく、神さまがくださる平安なのでした。
★おいしいコーヒー、2杯目です。
コーヒーを2杯飲める土曜日の朝、とても幸せです。
いいえ、幸せの理由はコーヒーがおいしいことや2杯飲めるのんびりした朝ではなく、神さまがくださる平安のゆえに、です。
嵐のような1週間でした。
嵐のような情報、そこに含まれた苦い人間の思いや意見、非難の声、そして人の裁き。
いやいや「人」じゃない、「私」の裁き。
私はキリストを3度も「知らない」と言ったペテロのように深く傷ついていたのでした。
でも、自分の弱さを認めた時、ダビデやペテロをなぐさめたように、私のこともなぐさめてくださいました。
だから、本当に幸せな静かで平和な土曜日の朝なのです。