Thursday, November 25, 2021

山と谷の地

主はわたしを遣わされた。
捕らわれ人には赦免を、
盲人には目の開かれることを告げるために。
しいたげられている人々を自由にし、
主の恵みの年を知らせるために。
ルカ 4:18,19

あなたが自由にされたのは、主が拘束され苦しまれたからである。
イエスの与えられる自由は永久不変であり、どのような鎖によっても私たちを再び縛ることはできない。
私たちの偽りに満ちた心は、私たちを苦しめ悩ますかもしれない。
しかし、私たちのうちに良いわざを始められた方は、そのわざを継続しまた完成される。
「あなたは私のかせを解かれました。
主よ、私はどうしたらよいでしょうか。」
C.H.スポルジョン 『朝ごとに』より

毎朝、どうゆうわけか、通読で読んだ箇所と、スポルジョンがくれるみことばが絶妙に絡んで、私に大切なこと教えてくれます。
今朝の通読は申命記の11章でした。
10節と11節、今まで、きっと心に留めたことのなかった箇所です。
自由について。
すなわち、ここではエジプトと約束の地の違いについて。
私は、本当に大きな自由を受け取ってしまったことを実感していた矢先でした。
生まれた時からかなり自由に生きてきたと思っています。
両親は私を自由人に育ててくれました。
行きたい所に行き、やりたいことをして生きてきました。
いつもそのことに感謝してきました。
その自由の中で、昨年の8月にさまざまな事情が重なって幼稚園を辞めました。
その時の私は、主がこのような形で私を継続的かつ深層に両親や教会に仕えさせるようになるとは、夢にも思っていませんでした。
そして、その従順の代償かのように私は主に未だかつて経験したことのない大きな自由の中に放り込まれました。
これはかなり、ドキドキする人生の変化です。
スポルジョンのメッセージの最後の祈りのことばに心からアーメンと言いました。
「あなたは私のかせを解かれました。
主よ、私はどうしたらよいでしょうか。」

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