Saturday, April 5, 2014

新しい携帯電話&新しい祈り

キリストこそ私たちの平和であり、
二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、
ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。
エペソ2:14
おはよう。土曜日の朝です。
どんな一週間でしたか?
私は夫が買ってくれた新しい携帯電話があまりにも感度良好で、たとえ携帯していなくても、なんとなくわかるし、時々ちらっと見るだけで、いろんな届きものが即座に受け取れて、ささっとお返事でき、本人は何も変わっていないのに、なんだかテキパキな人になれた気がしています。
手に握っていてさえ、聞こえず、後で記録や怒った声のメッセージだけが、どさどさ届くような油断もすきもない電話を長年使っていたので、あまりの清清しさに、バレリーナみたいに電話を持ってくるくるまわりながら、リプライしちゃっています。(これはうそ)
それから、二つの新しいことばを知り、調べ、考え、そして真剣に祈った一週間でもありました。
ひとつはパワーハラスメント。
Wikipediaではこんなふうにありました。

パワー・ハラスメントの概要

東京都は、1995年から、「職場において、地位や人間関係で弱い立場の労働者に対して、精神的又は身体的な苦痛を与えることにより、結果として労働者の働く権利を侵害し、職場環境を悪化させる行為」という定義のもとで労働相談を受け付けている。


それを調べていて出会ったもうひとつの新しいことばがこちら。
モラルハラスメント。
それはこのような意味です。

モラル・ハラスメントの概要

フランス精神科医、マリー=フランス・イルゴイエンヌが提唱した言葉。外傷等が残るため顕在化しやすい肉体的な暴力と違い、言葉や態度等によって行われる精神的な暴力は、見えづらいため長い間潜在的な物として存在していたが、イルゴイエンヌの提唱により知られるようになった。イルゴイエンヌは、社会は精神的な暴力に対しては対応が甘いが、精神的な暴力は肉体的な暴力と同じ程度に、場合によっては肉体的な暴力以上に人を傷つけるもので、犯罪であると述べる。

モラル・ハラスメントの加害者と被害者

モラル・ハラスメントの加害者となる人物には特徴が存在する。加害者となるのは、罪悪感を持たない、責任を他人に押し付ける、普通の人なら罪悪感を持ってしまうような言動を平気で出来る、誰かから奪うことを欲している、内心の葛藤を自身で引き受けることが出来ず外部に向ける、自身を守るために他人を破壊する必要を持つという「変質性」を持つ。モラル・ハラスメントの加害者は、自分が「常識」であり、真実や善悪の判定者であるかのようにふるまい、優れた人物であるという印象を与えようとし、自分の欠点に気づかないようにするために他人の欠点を暴きたて、賞賛してもらうために他人を必要とする。加害者は復讐の気持ちをともなった怒りや恨みも持ち、被害者にすべての責任を押しつけてしまうことによって、ストレスや苦しみから逃れる。モラル・ハラスメントの加害者は、相手と与え合う関係を築いて欲しいものをもらうという方法は取らず、例えば、相手が優れた考えを述べたとすると「その考えは相手のものではなく、加害者のものになる」という方法を取る。

モラル・ハラスメントの過程

モラル・ハラスメントの加害者が人を支配しようとするのには、妄想症の人間が自身の「力」を用いるのとは対照的に、自身の「魅力」を用いる。次に、嫌味、皮肉、口調、態度など、ひとつひとつを取ってみればとりたてて問題にするほどのことではないと思えるようなささいな事柄・やり方によって、被害者の考えや行動を支配・コントロールしようとする。この段階では、加害者は被害者に罪悪感を与え、周囲には被害者が悪いと思わせようとする。被害者が自立しようとすると、中傷や罵倒などの精神的な暴力を振るい始める。だが、モラル・ハラスメントのメカニズムが機能しているかぎり、加害者の心には安寧がもたらされるので、被害者以外の人には「感じのいい人」として振る舞うことが出来る。そのため、ある人が突然モラル・ハラスメントの加害者として振る舞ったとき、周囲には驚きがもたらされ、時にはハラスメントの否定さえなされる。モラル・ハラスメントの全過程を通じて被害者は加害者の真意をはかりかね、悪意を想像しない、あるいは自分のほうが悪いのではないかと逡巡する、暴力は相手が悪いが、原因は自分にあると思考してしまう。モラル・ハラスメントの加害者が行う個々の攻撃行動は、普通の人でもやってしまうことがあるものだが、普通の人はためらいや罪悪感を伴ってしまうところを、「本物の加害者」は自身のほうが被害者だと考える。反対に、耐えかねた被害者が加害者に肉体的な暴力をふるってしまうこともよく起こる。加害者がそのように仕向けることすらある。
2002年1月には、フランスで、職場におけるモラル・ハラスメントを禁止する法律が制定された。
私はこれを読んで、すぐさま、賢人とはなのために祈りました。
10年以上かけて毎日ひとつづつ祈り続けてきた『子どものための30の祈り』には、こんな項目はありません。
加害者にも被害者にも決してなることがありませんように。
この世界の新たなるやぶれというかほころびというか、そんなところに、どうか賢人とはなを迷い込ませてないでください、とそう祈りました。