Tuesday, September 6, 2022

思いの実現と拡大

あなたが横たわるとき、あなたに恐れはない。
休むとき、眠りは、ここちよい。
にわかに起こる恐怖におびえるな。
悪者どもが襲いかかってもおびえるな。
主があなたのわきにおられ、
あなたの足がわなにかからないように、
守ってくださるからだ。
箴言 4:24~26

日本滞在中、はなに私の部屋を使わせ、私は父の部屋で眠りました。
父の机で父の聖書を読み、父の書棚にあった本でデボーションをしました。
とても良い本だったけど、こちらに戻る時、父の書棚にそっと戻してきました。
今、その中にあったことばをどうしても思い出したくて、考えこんでいます。
あああ、ありました。
読書日記ってつけるものですな・・・。
「大きく見ますと、基本的にはいっさいのものが生きるということを目指していることは明らかです。
これは偶然でしょうか。
すべては生命を目指している。
イエス・キリストはこれは神の意思だと言われたのです。」
私は、この文章を読んで、ヒトは「生きる」方向に向かって、生きているんだなっとしみじみと思ったのです。
死は神さまの時に受ければよいのだなって。
そしてその時は、きっととても安らかに、自然にそれを受け取ることができるものなのでしょう。
それがどんな死であったとしても。
以来、生きることは闘いだ的なことを聞くと、それは、言わない方が良いよ、と心の中で思います。
あなたに今何も問題がないとしたら、それは問題と問題の間にいるからだ、というような文章に出会うと、すぐに閉じるようになりました。
思いは現実となるものだし、広がってゆくものです。
わざわざ、自ら、そんな早々と死をえらばなくとも・・・、と思うのです。
死なんて、そんな大袈裟ななんて思わずに知って欲しいのだけれど、自滅型の思考回路の行方は死です。
小さな小さな疑いが確信に変わって、やがて恐怖となり、それは、その人が信じていること、願っていること、欲していることとして、神によって、祈りとしてきかれてしまうと、私は思うのです・・・。

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