都には、これらを照らす太陽も月もいらない。
というのは、神の栄光が都を照らし、
子羊が都のあかりだからである。
黙示録 21:23
昨日から大切に大切に1ページずつ、読み進めている本、『クレッシェンド』の序章に亡くなった『7つの習慣』の著者スティーブンR.コヴィーは、彼の子や孫の中で生きているという文章がありました。
平凡な言い回しかもしれないけれど、これを実感できるのは本当に幸せなことだと思う。
私は毎朝のプールでの祈りで、父のことを祈る時、父が私に残した偉大なる遺産を、私も子どもたちに残すことができますように、というのがあります。父が私に残した最も感謝すべき遺産は、人は一番好きなことを一生懸命にこつこつと続けていれば、必ずそれに見合う収入が得られるという確信です。
一番好きなことに一生懸命に集中して生きていれば、それがなんであろうとお金は後ろからついてくるのです。
賢人もはなもあたりまえにそう思っています。
賢人なんて、すごくそうです。
はなはもっともっとそうなりそうな気がしています。
でも、まだ2人ともそれで収入を得たことがありません。
それで、親として時々、握っていたはずの確信が揺るぎそうになることがあります。
「神さまは、どんな形でこのことを益としてくださるのだろう」なんて。
でも、そうじゃない、どんな形もこんな形もなしだった。
それは、もちろんがんばっている賢人自身が欲しい形に決まっている。
父が私に見せたように、私も子どもたちに見せてきたのだから・・・。
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