Friday, November 8, 2019

イザヤ書 30章

あなたが右に行くにも左に行くにも、
あなたの耳はうしろから
「これが道だ。これに歩め」と言うことばを聞く。
イザヤ 30:21
主のみ声かどうかはわからないまま、右に行ったり、左に行ったりしています。
こう言う状態を右往左往と言うのでしょう。
今の私にぴったりな4字熟語です。
天然のKYとささやかれて、いえ、はっきりと「これは褒め言葉です」と言われ続けている私には、つかめないものが、ありすぎて、時々とても不便です。
来週のペアレンティングクラスを準備している時に見つけた佐々木正美のことばにこんなのがありました。
「人間はそれぞれの発達や成長の段階で、周囲の人や社会的環境から、年齢や発達相応のことをあれこれ要求され、それらの要請にこたえようとして、心理的な努力をします。
そのときどきで、私たちがどのような態度をとるかは、それまでに習得した運動能力、情緒的、社会的な技能をどのように応用することができるかということで決まります。」
今日はこれを賢人に届けます
これも右往左往の1つな気もするけど・・・
まだ歩けなくても、ことばがわからなくても、赤ちゃんは、ママの気もちに反応しようとすると言う意味です。
でも、その社会(子どもにとっては両親や家族)の要請が、子どもの持っている能力をはるかに超えてしまった時の問題、まあ、平たく言うと親の過剰期待について書いている文章なのですが、下の文にはドッキリ考えさせれました。
「エリクソンは、周囲の人や社会からの要請と、個人がそれに適応していこうとする、心理的努力との間に生じるストレスや緊張を、「心理的社会的危機」と呼びました。
危機だなんてそんな大げさな・・・。
でも、ない感性、ない能力を求められるって、そういう状態なのかもしれません。
話は随分それてしまったけれど、主のみ声は「風のささやき」のようと、誰かが言っていました。
十分に祈ったなら、後は、右往左往する前に、耳をすませなければなりません。