Sunday, December 11, 2022

エリザベツの奇跡、はなの奇跡

「こわがることはない。ザカリア。
あなたの願いが聞かれたのです。」
ルカ 1:13

9時間ほど前にアップロードされたばかりの12月4日の礼拝メッセージ、「神の圧倒的な介入」https://www.youtube.com/watch?v=pcYKbDznQ7Eというタイトルのメッセージを聞きました。
ザカリアには自分でも思い出させない心奥深くの願いがあり、そして私たちにもある。
ザカリアがそれを忘れ、私たちが忘れても、神は決してお忘れにならない。
たとえ、ザカリアがそれが叶えられる奇跡を信じず、私たちもまた信じることができずとも、神さまの恵は変わらない。
そんなメッセージでした。
だったら、この恵を、他の誰か、この奇跡を信じることのできる人のところへ持って行こうとはならず、老齢のザカリアの妻エリザベツは、超高齢出産でバプテスマのヨハネを産むことになりました。
誰の中にも思い当たるふしのある大切な真理なのではないでしょうか。
祈って、祈って、祈って、でもなんの変化もなく、いつしか祈ることをやめたことが、ある日、すっかり忘れた頃、現実を疑ってしまうほど、不思議な方法で叶えられてしまうということ、たくさんありました・・・。
ひとつだけ、シェアします。
学校は大すきなのに、お勉強が苦手だった私のかわいそうなはな。(そんなにお勉強ができなくてなんで学校があんなに楽しくて大すきだったのか、かえすがえすも不思議です)
中学の頃まで成績表はDだらけで、F も時々あって、進級のたびに、周囲のお友だちが必死になってはなを手伝い、やることをやらせ、書くモノを書かせ、出すモノを出させ、Dをいただいて、やっとのことで進級するのが4月5月のならわしでした。
もちろん私も一生懸命にお祈りしていました。
「学びの熱意に灯を灯してください、そしてそれを燃え上がらせてください。
あなたがお造りになられたこの世界の不思議な大自然や緻密で美しい摂理、人類の功績と失敗、そしてこれからの課題、その他さまざまなことについてワクワクと進んで学ぶ子にならせてください」と祈らない日はありませんでした。
でも、いつしか、「まっいっか、はなははなだ。これが私のはななのだ。こんなに良いお友だちに囲まれていることも、いつもこの悪い成績によって証されているのだから、それは良い成績をいただくよりも幸せなことなのだ。」とあきらめ始めた頃のことでした。
パンデミックが始まり、ステイホームで授業がオンランクラスになった日から、FがDに、DがCに、CがBに、そしてついにBがAに・・・。
そして、それはキャンパスが開いた後も、わりと維持されているのです。
いっつあ、みらく〜
気を散らさずにお勉強できる方法を知ってしまったはなは、(それは、私が思うに、いつもビデオを見ながらだったり、何かを書きながらだったり、描きながらだったり、全くなってないのだけれど、でもどうやら、それがあの子の集中法のようです 私が運転しながら、歩きながら、泳ぎながらでないと、すらすら流れるように祈れないのとちょっと似てるかも・・・)パンデミック中のオンライン授業によって人生を変えることができたのでした。
これは、私にとって、年を取ったエリザベツが妊娠したのと同じぐらいの奇跡なのでした。
アーメン

 

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