聖書に「最初の人アダムは生きた者となった」と書いてありますが、最後のアダムは、生きた御霊となりました。1コリント15:45
イエスは、選ばれた者たちの頭である。
あたかもアダムが行いの律法の下にあって人類の契約の締結者であり、代表者であったために、すべての血肉の子孫は彼と個人的関係を持ったように、恵みの律法の下において、すべてあがなわれた魂は天から降られた主と一体である。
なぜなら、彼は第二のアダムであり、新しき愛の契約の下において選ばれた者たちの保証人、あるいは代理人であるがゆえに。
アダムの義は、彼がそれを持ち続ける限りは私たちのものであった。そしてアダムが罪を犯した瞬間に、彼の罪は私たちのものとなった。
同様に第二のアダムは私たちの代表であるため、第二のアダムの行為はすべて、彼のものであると共に私たちのものである。
ここに恵みの契約の基礎がある。
C.H.スポルジョンの「朝ごとに」より
ローマの11章の契約と選びについて書いてあるのを読んだ直後だったので、このスポルジョンの難解な説教が、少しだけど、理解できたような気がしています。
ローマ書を読みながら、「神の選び」にもれなかった奇跡をしみじみと感謝しています。
このいつくしみの中にとどまり続けたい、そう思います。
どんなことがあっても。
日本に帰ってくると「基準」が私ととても違うことに驚きます。
良い人、正しい人、賢い日本人たちが定めた、健康で安心、豊かで公平な社会の基準です。
ちゃらんぽらんな私が、ここで、この国で「救い」を受けるのは容易なことではなかっただろうなっと思うのです。
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