Monday, December 26, 2022

真の弟子になりたい

パピルスは沼地でなくても伸びるだろうか。
葦は水がなくても伸びるだろうか。
ヨブ記 8:11

葦はあらゆる風に揺る動かされるが、それはあたかも形式主義者があらゆる勢力に対して屈服するのに似ている。
したがって、葦があらしによっても折られぬように、偽善者も迫害によって悩まされることがない。
しかし、ひとたびかんばつともなれば、たちまち枯死する。
葦はどろなくしては成長することができない。
が、主の右手が植えたもうた植物は、かんばつの年にも繁茂する。
信仰深き人の魂は、しばしなこの世的な環境が朽ち果てる時に最もよく成長する。
金銭を目当てにキリストに従うものはユダである。
パンと魚のために従う者は悪魔の子である。
しかし彼を愛するがゆえに彼に従うものは、真に彼の弟子である。
C.H.スポルジョンの「朝ごとに」より
右に左に、上から下へと、色々柔軟に対応できる人々のことを忍耐があるなあと、尊敬しそうになっていた、まさに今朝、この朝、このタイミングだったので、自分のことは棚にあげて、妙に納得してしまうスポルジョンのメッセージでした。
そもそも、傷つくポイントが違うのなら、そりゃ、平気よね。

☆写真は昨日の朝のおさんぽで道端にうずくまっていたことり
どうしたものかと少し考えて、車にひかれてしまわないように茂みに移そうと手袋を差し出して包もうとしたら、ひょいと自分でのってきて、そして、私の手袋の上から空に向かって飛び立ちました

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