さて、祭りの終わりの大いなる日に、
イエスは立って大声で言われた。
「だれでも渇いているなら、
わたしのもとに来て飲みなさい。」
ヨハネ 7:37
彼は私たちの挑戦、反逆、そして聖霊に対する反抗にすら耐え忍ばれる。
私たちがなおあわれみの国にいるということは実に驚異中の驚異である。
彼は私たちに和解を訴えておられる。
この宣言は最も自由なものである。
すなわち渇ける者はだれでも歓迎するというのである。
そこには渇いているという以外になんの差別も設けられていない。
それがどん欲、野心、快楽、知識、休息などいかなる渇きであろうと。
渇ける者はすべて招かれているのである。
C.H.スポルジョンの『朝ごとに』より
日本ですごす3年連続の大晦日、2年前の私と今の私をつないでくれたのはイエスさまでした。
父の人生の最後の5ヶ月を、丸ごと、主は、私にくださいました。父が亡くなった後の1年半、私はその5ヶ月を宝のように抱きしめて生きてきました。
それは、これからの私のことも、支えてくれるはずです。
あの5ヶ月は、過去の親不孝や疎遠を全て帳消しにしてくれるほど豊かな時間でした。
そして、それだけではなく、私に大きな自信を与えてくれました。
7ヶ月ぶりに帰国し、母のひとり暮らしが順調にまわってゆくことを確認し、今年の1月、就職活動を始めました。
レジュメを書き直し、一番無理そうな所にチャレンジし、非常勤として採用されました。
パートタイムというポジションに、自分の年齢を思い、無理からぬ配置、と否定的な思いがよぎりそうだったけれど、でもそれは主の最高で最善の備えであったことに、すぐに気づくことができました。
母の一人暮らしを余裕を持って見守ることができたということだけではなく、日本仕込みの若い先輩方からたくさんのことを学び、吸収するための貴重な学習時間、そして将来への準備時間とすることができたから。
良い年でした。
本当に。
ありがとう、今年も読んでくれて。
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