Thursday, December 29, 2022

事の終わりのこと

事の終わりは、その初めにまさり、
忍耐は、うぬぼれにまさる。
伝道者の書 7:8

あなたがどろの中を徒歩するのでなければ、決して黄金の大通りを歩むことはできない。
それゆえクリスチャンよ雄々しかれ。
あなたは死のさなぎになるまでは毛虫なのである。
しかし、ひとたびキリストの現れたもう時、彼の真の御姿を見るゆえに、あなたは彼のごとくなる。
彼に似る者となることを覚えて心を安ぜよ。
C.H.スポルジョンの『朝ごとに』より
この家には、いたる所に、いえ、ほとんど全てに、父の手の技の跡があります。
その中で、母と私はストーブに灯油を満たし、部屋を温め、お鍋で野菜やお肉を煮炊きし、マーケットで新鮮なお魚を買ってきては、ご飯を炊いて食べ、おなかを満たしています。
お風呂はいつでも蛇口をひねれば熱いお湯が出てきます。
Wifiというコトバを知って以来、何年もこの家の中でそれを求めて苦労したことはありません。
この家に欠けているものは、父の存在だけです。
いずれは母も欠けることでしょう。
そして、その時に残るはこの家と私です。
その時のことを思うと、恐くて、恐くて、どうにかして、自分を備えたいと願うのだけど、うまくゆきません。
私の備えはキリストです。
キリストの霊です。
天の御父です。
それで、十分なのに、恐い。
恐いのです。

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