Tuesday, December 27, 2022

急流の中で

私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、
キリストが私のうちに生きておられるのです。
いま私が肉にあって生きているのは、
私を愛し私のためにご自身をお捨てになった
神の御子を信じる信仰によっているです。
ガラテヤ 2:20

魂が明確に自己とキリストとの一致を見ることができる時、両者の脈は相うち、同一の血液がおのおのの血管を流れるのを感ずる。
その時、心は地上にありながら、あたかも天国にあるかのようであり、最も崇高な、霊的な交わりに入るために備えられるのである。
C.H.スポルジョンの「朝ごとに」より

今朝読んだローマ書の中で、「あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、滅ぼさないでください。」と迫られ、静かに降参しています。

父が亡くなって2度目の冬。
3度目の帰国です。
最初の冬、大きな覚悟を持って羽田での2週間のホテルでの隔離を経て、この家に帰ってきた時、「だいじょうぶ、なんとかやれる」そう思いました。
羽田で過ごした時間が長すぎて、ぐずぐずしていられなかったです。
そして夏ははなを同伴したため遊ぶのに忙しく、何も考える余裕もなく過ぎ去り、そして、この冬、あまりの大きな喪失の痛みと、そしてこれからやってくる諸々に対して怖気付きそうになっていました。(います)
父が愛した母と、この家の将来のことを考える日々の中で、頼れるのは神さまだけなのだと、でも、それで十分なのだと自分に言い聞かせながら母とこの家とを見つめています。
急流を渡る川の中で、何度も足を取られそうになりながら背中に少年を背負って、その川を渡りきった旅人を助けた聖人の話を聞きました。
渡りきり後ろを振り向いた聖人が見たものは、襲いかからんばかり激しい流れ。
無事に渡れたのは「少年」という「重荷」のおかげであったと気づくお話でした。
私も私の「重荷」が私を救うのだと、そう信じます。

全然関係ないことで、全然関係ない人をさばいてしまったことを、主に悔いあらためつつ・・・。

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