Sunday, March 8, 2020

朝ごとに 3•8

弟子たちの心を強め、
この信仰にしっかりとどまるように勧め、
「私たちが神の国に入るには、
多くの苦しみを経なければならない」と言った。
使徒の働き 14:21
神の民は患難の炉の中から選ばれた。
試練は天から与えられたものであり、神の厳命によって私たちに予定され、またキリストが死の前に私たちに遺言されたものであった。
善なる者は決して患難を逃れようとしてはならない。
苦難の十字架は、王室の印としてすべてのあわれみの器に彫りつけられるように定められた。
これは王の誉れある器が一目でわかるためである。
このように、患難は神の子たちの通る道である。
しかしそれとともに、主がそこを先立って通られたことを知る慰めが、彼らに与えられている。
C.H.スポルジョン「朝ごとに」3月8日
患難だなんて・・・。
そんな重たい言葉にふさわしい神のレッスンを受けたことがあるでしょうか。
私は、「NO」です。
びっくりするようなことは時々あります。
お兄ちゃんが病気になったり、賢人が日本で飛行機に乗り遅れたり、犬のじょえるのことで郵便屋さんに10万ドルの保証を求められたり。
小さい頃はお人形さんのお洋服がやぶれただけでとても悲しかったし、少し大きくなってからはいっぱい失恋しました。
その時は、とてもじゃないけど、受けとめきれないと感じたけど、それを、患難とは、ちょっと呼べません。
でも私も、王室の印としての十字架の刻印が掘られた器になりたいです。
あきらめずにいたい。
これでいいや、って思わずに。
きっとそれが私のチャレンジだと思う。