Wednesday, December 30, 2020

ずっと気になっている日本語


ずっと気になっていること。
ずっと気になっている日本語。
どこがどう変だと感じているかは説明できても、どうして変なのかを説明できず、ずっと書けないでいるけど、今日は、大晦日だし、ヒマだし、がんばって書いてみます。
話ことばです。
「○○○あります」
この時のって、「牛乳あります。でも、お茶はありません」という使い方だと思うのだけど、人々は、ないもののことについて、一切語らず、「○○○あります」と言います。
聞き手の興味がお茶であるという前提に言っているみたいなのに、いきなり「牛乳あります」という。
どうして、きっぱり「「お茶はありません」と言ってあげないのかな。
例えば、否定肯定逆の場合もしかり。
「将来についてどうお考えですか」と聞かれ。「不安ありますね」と。
不安の方じゃなくて、その反対のない方のたぶんポジティブな方がポイントのようなのに、そっちは言わない。
例えば、「悲しみはありません。でも、不安ありますね。」のなら、その前半を省略しないでよっと思うわけです。
わかって、もらえるでしょうか。
「○○○あります」の変な感じ。
それを言葉通りに受けとめるのがもしかして単純すぎるのかなと疑ってみたりしてもいます。
本当はそれこそが第一の重大なポイントだったりして、と。
本当は「不安です」と言うべきところを、「不安あります」と言ってる???
第一の重大なポイント、例えば、「悲しみはありません」は最初からなかったりして、と。

No comments:

Post a Comment