Friday, June 10, 2016

出エジプト記 12章

あなたがたの子どもたちが
「この儀式はどういう意味ですか」と言ったとき、
あなたがたはこう答えなさい。
「それは主への過越しのいけにえだ。
主がエジプトを打ったとき、
主はエジプトにいたイスラエル人の家を過ぎ越され、
私たちの家々を救ってくださった。」
すると民はひざまずいて、礼拝した。
出エジプト12;26,27
いよいよあの夜がやってきます。
過越しです。
主は、エジプト人とイスラエル人を区別するために、決定的で徹底的な業でエジプト人を打ちます。
その夜に先立ち、イスラエルの民に以下の備えをさせました。
傷のない1歳の雄の羊を各家族、一頭をほふり、その血を家の左右の門柱とかもいにつけます。
その夜、それを火で焼いて、種なしパンと苦菜と一緒に食べます。
腰に帯を締め、くつをはいて、手に杖をもって、急いで食べなさい、とあります。
そして、その夜、エジプトに激しい泣き叫びが起こります。
それは、門柱とかもいに血のしるしがない家で、死人のない家はなかったからでした。
パロの子も、奴隷の子も、動物にいたるまで、最初の子、初子のすべてが殺され夜だからです。
ディズニーの映画、「プリンス・オブ・エジプト」を観とそれは、まるで風のように描かれています。
主の霊がそれをされたので、私はその映像をみて、実際もそのようであったと信じています。
つまり、殺された子たちには何の痛みもなく、ただ、主によって生を絶たれたかのように、ぱたりと息をしなくなる感じです。
この公開聖書通読の初日にも書いたけど、主の業は、まさにこの分ける、区別する、分離するというところに、神らしさ、荘厳さ、偉大さが、現れると私は思う。
海と空を分ける、エジプト人とイスラエル人を分ける、生と死を分ける。
そして最後はきっとクリスチャンとノンクリスチャンを分けるのです。