Thursday, June 16, 2016

出エジプト記 34章

主、主は、あわれみ深く、情け深い神、
怒るにおそく、恵みとまことに富み、
恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、
罰すべき者は必ず罰して報いる者。
父の咎は子に、子の子に、
三代に、四代に。
出エジプト記34章6,7節
シナイ山で40の昼と40の夜をかけた神さまと1対1の会見を終えたモーセを待っていたのは、アイドルを奉り上げた悲惨などんちゃん騒ぎでした。
モーセが山を降りる前、主は、モーセにちらっとおっしゃいます。
32章10節、「今はただ、わたしのするままにせよ。
わたしの怒りが彼らに向かって燃え上がって、わたしが彼らを立ち滅ぼすためだ。」
モーセは、現実を見ていないので、まあまあと嘆願します。
14節、「すると、主はその民に下すと仰せられたわざわいを思いなおされた。」
書記も抱えず、たったひとりで書き留めたたくさんの大切な情報を刻んだ石の板を抱えてシナイ山を降りたモーセは、自分の帰りを待てず、消息不明になったかのように忘れて、偶像にまみれる民を目の当たりにした人間・モーセはぶちきれます。
どんなふうにキレタかというと、こうです。
板を投げ捨て、山のふもとで砕き、造られた偶像である金の子牛を火で焼き、粉々に砕き、水の上にまき散らし、人々に飲ませた。(19,20章)
そして殺し合いを始めさせ、3000人の命を取ります。
そして、祈るのです。
32節、「今、もし、彼らの罪をお赦しくださるものならー。
しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになった書物から、私の名を消し去ってください。」と。
すごいね。
人間・モーセの命をかけたとりなしです。
33章と34章は静かな、主のモーセへの語りかけです。
もう一度、石の板を取るように語られます。
もう一度一緒にやり直そうといわんばかりに。
まるで友のように。