Wednesday, June 15, 2016

聖別を求めるということ

聖書を、一番最初のページ、創世記の1章1節から読みながら、読んだ内容や思ったことを書き始めて、今日までずっと感じ続けていること。
神さまの業の基本的方針は「分離」。
教会でよく言ったり聞いたりする、「ひとつ」と対抗してしまうけど、でも、私がずっと
感じ続けていることはそれ。
海と空の分離に始まり、イスラエルとエジプトの分離、そして聖別。
主によって、主の側に分けられることを月曜日の朝の車の中で祈って以来、悪が私をよけている気がする。
私が悪をよけているのかな、よくわかりません。
小さなことも、大きな意味をもって、神さまは私が新しい罪を犯さないですむように守ってくださっています。
南、南の古い街でそれを知って以来、そんな目で自分の周囲を見ると本当にそう。
小さなお金、小さな時間をきちんと私に管理させてくださり、責任をもたせてくださり、そしてそれをちゃんと果たさせてくださる。
私の神はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神。
ナイルを血に変えた神、海を分けた神。
はなと私の14ドルのチケットを、私の1時間を、上手に用いてくださる神。