Tuesday, June 14, 2016

出エジプト記 29章

あなたがそれを聖別すれば、
祭壇は最も聖なるものとなる。
祭壇に触れるものも全て聖なるものとなる。
出エジプト29:37
夕べ、ちらっと聖別?って思って、そのことについて書いてみたら、今朝、どど~んと聖別についての、細かな方法や意味や意義についての記事が、私を迎えてくれて、ちょっと興奮気味、落ち着いて整理してみます。
25章から、幕屋とその大切な小物作りの方法について書かれています。
幕屋とは、移動可能な教会堂。
まずは箱。
16節に、「わたしが与えるさとしをその箱に納める」とあります。
そして、机、燭台、幕屋、祭壇、庭、祭司の装束。
祭司の装束に関しては、28章、赤めのう、トパーズ、エメラルド、トルコ玉、サファイヤ、ダイヤモンド、ヒヤシンス石、めのう、紫水晶、緑柱石、しまめのう、碧玉を並べるとあります。
12の石は12部族の象徴のようです。
そして、それらが完成いたのち、29章でいよいよ祭司たちの聖別です。
雄羊とパン、29節「和解のいけにえの奉納物」という言葉がみえます。
ただ雄羊一頭ど~ん、パンをどうぞ、ではなく、読んでもらえればわかるけど、大変な仕事です。
そして、今朝の私は思った。
よかった、十字架の後に生まれて。
私は、やっぱりあの日曜日の午後、教会から帰ってきて、夫が買ってきてくれた兄へのお誕生日プレゼント(夫とこのことはもうずっと前から相談して決めていたけど)を何もせずには触れることができなかったことに、とても聖なる神の業を感じます。
そして、ピンチでも緊急でもないのに、全く知的さのかけらもなくただの思いだけで祈って、息をとめるような思いで、袋から箱を取り出し、箱を開け、i pad 取り出し、もう一度、息を整え、「主よどうぞこれを聖めてお用いください」と祈ったことは、聖別であったと思うのです。
私には雄羊もその血も油もパンも必要ありません。
私には、イエス・キリストがいます。
彼が私の「和解のいけにえ」なのです。アーメン