Wednesday, June 8, 2016

通読の目的と更年期障害的情緒、でもこれ以上いろいろ言わないでね

★今朝の「出エジプト記7章」で、書きたかったけど、書ききれなかった思い。
今も、そんなにまとまっているわけではない思い。
キリスト教やユダヤ教が他のいかなる哲学や宗教とも違う点は、ここにあると思う。
それは、良いとか悪いとか、正しいとか正しくないとか、ためになるならないではなく、ただ、事実であること。
たくさんの人が目撃した歴史的事実。
そして、そこからこぼれてゆくユダヤ教徒の気もちはこれから、じっくり読んでゆこうと思うの。
イエス・キリストの系図をしっかり追いたいのは、なぜ、ユダヤ教徒という旧約に固執するへブル人が今なおわんさかいるかを知りたいからなのです。
★「ぶっとび~なわたし」を最後に、今まで書いてきた、一連の自信喪失物語の背景には、もしかしたら、更年期障害とかも関連しているかもしれないなっと思います。
だって、今までだって、いろんな人がいろんなことを言ったり、やったりして、私の横とか前とか上とかを通りすぎて行ったはずだけど、こんなにまで傷ついたり反省したりした記憶ってないもの。
いつでもその場で激しく反応していたわ。
50歳って充分すぎるほどの大人だから、きっともう、そろそろ限界なのね。
若い人たちのように激しく反応もできないし、黙って飲み込むには年を取りすぎ。
言われたくないことを聞かずにすむ、安全な環境作りを、第二の巣作りと名付けてがんばりたい。
そして、そんなネガティブな記事も終りにしたい。
★読む人を元気にする文章、励ます文章、慰める文章、笑わせる文章、癒す文章、勇気を与える文章、そんな文章を書ける人になりたいのです。
もっと、もっと、も~と。