Monday, June 13, 2016

聖別って、もしかしてこんな感じ

先週の土曜日の午後、夫がはなをつれてふらっとショッピングにでかけました。
で、大抵こんな時って、はなのちょっとしたかわいいアクセサリーとかマニキュアとか甘いものと晩御飯のおかずを楽しく気晴らししながら買ってきてくれるのだけど、この日はipad を買って帰ってきてくれちゃったからもう大変。
全く心の準備ができていなかったので、一晩、そのまま、袋の中身も確認せずに、そっとクローゼットに置いて眠りました。
翌日の日曜日は教会でピアノを弾くためにリハーサルで朝早くから家を出て、忘れていることができたけど、帰ってから、これをどうにかしなくては、と思い、そして、何をしたかというと、祈った。
今思い出してもすごく不思議な感覚なのだけど、祈らずには、袋の中さえ覗けなかった。
なんだろう、この感じ、って思いながら、とにかくこの i pad を祝福してくださいって、ほとんど思いだけで、祈った。
これは、私にとって、たぶんはじめての経験です。
私って、こう見えても、いつもわりと知的にわかる言葉で順序立てて祈る人なのに、その祈りはただの思いの塊で知的な言葉でもなんでもなかった。
それでがさがさっと袋から箱を取り出して開き、ぐぐぐ~と集中して作業をはじめました。
今日は手をつけていません。
ちょこっと触るということになんだかへんな抵抗を感じます。
聖別って、普段わりと何気なく使っている言葉だけど、それはもしかしてこういうことなのかなって初めてその意味について考えてみています。