Saturday, June 11, 2016

出エジプト記20章

あなたは、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは自分のために、偶像を造ってはならない。
あなたは、あなたの神、主の御名をみだりに唱えてはならない。
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
あなたの父と母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
出エジプト記20:3~17
新鮮な水とマナで養われながら、イスラエル民族の旅は続きます。
17章でいきなりヨシュアが登場しアマレクと戦って勝利しますが、なんだか、あまりにも唐突に感じるのは、私が血縁にこだわって読んでいるからね。
ヨシュアよ、どこの誰だか、ちゃんと自己紹介しておくれ。
18章では、妻のチッポラの父イテロが現れて、モーセに役員制をしくように助言します。
モーセは素直にしゅうとのアドバイスを受け入れ、群れの長として、最も難しい問題の処理に集中できる体勢を整えます。
今、思い出したけど、創世記を読んでいる時も、えっとどこだっけ、5章の25節だ。
アダムの子、カインとアベルの下にセツという子が生まれ、この頃から人々は主の御名によって祈ることをはじめたとあります。
こんな風に、何気なく、すごく重要なことが、あまり有名じゃないキャラクターによって、形作られてゆくって、おもしろい。
だから、セツという名も、イテロという名も覚えちゃった。
えっと話しを戻すと、旅の途中、シナイの荒野で、民全体の前に主が大きく現れモーセをシナイ山に呼びます。
そして、語られたのがこの十戒です。
十戒をさらっと読んだ時に、必ずいつも思うこと。
第三の戒め、「あなたはあなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。」、これは私のための戒めです。
『おはようスポルジョン』なんてタイトルで、神さまのことを書いているけど、神の名を書く時には、注意深く、私のおバカな日々とは一線をひき、背筋をのばし心をひきしめて書かかなくてはってね。
私が地獄へ行くとしたら、まさにこの戒めのゆえだと思う。
よくクリスチャンからのEメールやお手紙やカードに添えられている、最後の文章の終り、自分の名前の前に「在主」とか「主にありて」と書く人いるけど、人ごとながらあれはすごくこわい。
この手紙は主のことばだという遠まわしな、いえ直接的な表現よね。
まさに、そう書かなくてはならない時というのが、長い人生の中には、1度ならずきっとあるとは思うけど、その瞬間まで大切にとっておいてほしいなって、いつも思う。
「みだりに」って、きっとそういう意味でしょ。