Monday, July 15, 2019

火種

朝からひとりでかなり盛り上がったわりには、けだるいムードの1日でした。
しら〜としらけた雰囲気っていうか。
っま、私はそんなの関係なく、いつものようにひとりテンぱりまくっておりましたが・・・。(子どもじゃんかそれ、ってそうその通り)
今朝のデボーションの中で湧き上がった喜びは、何が起きたとしても壊すことができないほどに、誰に何をされたとしても奪いさられることができないほどに、大きかった。
「火は絶えず祭壇の上で燃え続けさせなければならない。消してはならない」というレビ記のことばを、「個人の祭壇の上に絶えず火を燃やせ。これは信仰のいのちである。教会の祭壇も家庭の祭壇もここから火種を取るのだから。」と解き明かすC.H.スポルジョンを厳しい先生と思っていたことをすっかり撤回します。
そうじゃない。彼はちっとも厳しくない。
彼は、信仰の歩みの最初の一歩のところで受けた恵みを握って放すなと、ただそう教えているのだもの。
それこそ、長い信仰生活の土台だって。
水差すようで悪いけど、全ての聖く、正しい善行は、その上に立て上げられるべきであって、決してその順番は逆ではあり得ないのさ。
それは、まさに彼の言うところの、「もしこの火がこの世との妥協の下にくすぶっているならば、それは家庭の祭壇の炎をけぶらせ、教会と社会に対する私たちの感化力を減じさせてしまうからである」なのよね。