今朝、クルマを運転しながら、ず~と感じていたこと。
私はしあわせ。
たぶんもの心がついて以来ずっと、そのことを疑ったことはなかったけど、でも、今朝、しみじみとそう思った。
何がおきても、何がおきなくても、全てはしあわせというレベルの上と下の間で起きている出来事とずっと信じていたけど、でも、今朝、どういうわけか、わけもなく唐突に、今日までそう信じて生きてこれた私は、すごくしあわせだと実感してしまったのです。
どう、言えばいいのかな・・・。
例えば①私は、全く悪い妻なのに、良い夫を与えられ、そして、今日まで彼を主に取られずにいること、彼が健康であること、やさしい男であること。
②私は、全くだめな親であるのに、ふたりの健康で優しく神を信じるユニークな子どもを与えられたこと、ふたりに私のダメな判断の責任がふりかかっていないこと、それどころか主が彼らを信じがたい恵みをもって養育してくださっていること。
③私は、全くわがままな雇われ人であるにも関わらず、世界にふたつとない職場と同寮たちを与えられ、そして私は安心して自信を持ってそこで働き続けていられていること、信頼され仕事を与えられていること。
④私は、全くマイペースな信仰者であるにも関わらず、人生と信仰のステージに応じた礼拝の場所を次々に与えられてきたこと、今、そこを自分の居場所のように感じつつあること、全くどこにもどんなコミットメントもできなかったこの私であるにも関わらず。
・・・・・。
これは、最悪なのに最良を与えられたというほかなく、どう考えても私はしあわせでしょうって、そう感じたわけです。
アーメン