Wednesday, February 16, 2022

大人として満ちたりることを学ぶ

私はどんな境遇にあっても
満ち足りることを学びました。
ピリピ 4:11

「私たちはあざみやいばらの種を蒔く必要はない。
それらは土壌にもともとあるのだから、自然に生え出す。
同じように、人間は不平を言うことを教えられなくても一人前に言う。
しかし、地から生じる価値のあるものは、手をかけて育てなければならない。
満ちたりることを知るのが天国の花のひとつである。
そしてもし私たちがそれを得ようとするなら、育てなければならない。
それは私たちのうちに自然に生えることはない。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
このメッセージを読んで、ある微笑ましいエピソードを思い出しました。
ずいぶん前に働いていた幼稚園で、お餅つきをした日のこと、ある女の子がお昼寝の時に、ブランケットにくるまってしくしく泣き始めました。
その子はものすごくたくさんのお餅を食べていたので、心配になり、「どうしたの?大丈夫?」と、トイレに連れて行くつもり話しかけたら、「もっと食べたかった」と言って、再び、大粒の涙をぽろりとこぼしたのでした。
もうひとつあって、それははながまだ小さかった頃、何かのご褒美にお金のプレゼントをしたことがありました。
数のおけいこを兼ねて、それを持ってお買い物に行ったところ、欲しいものに、あと数ドル足りずに怒り出したことがあって、なだめるのに苦労した覚えがあります。
お金のプレゼントは約束でも何でもなく、私からの突然のプレゼントであって、その時は大喜びし、計算も自分ですると言ってくれたのにも関わらず、怒ることを選んだはなに、私はあきれ、人間の本性を見たのでした。
だからスポルジョンが、満ちたりる心は人が学ぶべきこと、育てるべきことと書いているのを読んで、心からアーメンと思います。
はなは成長しました。
お餅がもっと食べたかった女の子も成長したことでしょう。
私たちは、全宇宙を治める神のような気もちで生まれ、泣き、怒ります。
それが最初なのです。
最初から笑ったり、遊んだりする赤ちゃんはいないのでした。
これからも、どんどん成長してゆけるだと思います。
50代も、70代も、90代だって。
親の子どもへの欲求が大きいと子どもはいつまでたっても、自分にも周囲にもなかなか満足できず、つらい時期が長引きます。
でも、大人は、どんな環境にいたって、変われます。
それが大人の人生の楽しさだと思うのです。
☆写真は残りものをのせたごちそうサラダ
残りものというネガティブな面とごちそうというポジティブな面のどちらを食べるかは、これまた大人の嬉しい選択の自由、ははは。

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