Monday, February 21, 2022

Chapter 3 The Choice Is Always Yours


これは、主が設けられた日である。
この日を楽しみ喜ぼう。
詩篇 118:24

「最終的にどうなるかを決めるのは、宿命ではなく神様であり、そして、この方に対する信仰の度合いによるのです。
あなたの身に起こることは、コントロールできないかもしれませんが、あなたのうちに起こることはコントロール可能です。
私たちにはそれぞれ、なぜ今こういう自分になったのかという理由はあるでしょうが、その状態にとどまるべき理由はないのです。
人生のすべてが私たちに選択を求めてきます。
「素晴らしい朝です。主よ」と言うこともできますし、「素晴らしい主よ。朝です」と言うこともできます。
多くの人々は、自分の人生に責任を持つために、自分に対して支配力のある相手を変えようとします。
でも、それは私たちに「被害者意識」を植え付けます。
もし、あなたが被害者としてふるまい続けるなら、この先自分の人生に責任を持つことはできなくなるでしょう。
痛みや喜びの喪失をだれかや何かのせいにするほうが、よっぽど居心地がいいのです。
ですが、ぜひ知っていただきたいことがあります。
この自覚はあなたにとって、今までで一番の祝福に変わるかもしれないのです!」
今朝のスーのメッセージ、感謝と喜びでいっぱいになる最高のメッセージです。
声を大にして言いたいのですが、私もまた、被害者になること、(いえ、正確には)被害者を演じることに不健康な居心地の良さを求めていました。
でも、そうすることによって、手放さなけれでならないものの大きさに気づき慌てると同時に、手放さない自分を知ってほっとします。
それは、幸せを外的要因、周囲の状況に委ねることであり、クリスチャンが絶対に手放してはならない、「信仰」と反対のことだもん。
最終的にどうなるかを決めるのは神さまであり、この方に対する信仰の度合いであるとは、本当に良く言い当てたものです。
みんな、本当に、一生懸命に生きているのでした。(すごい唐突かもしれないけれど、私の中では一本の線なのです。悪しからず。)
私も一生懸命に生きています。
傷つけたり傷ついたりしながら。
でも、それは、それほど、驚き怪しむようなことじゃない。
だって、みんな、本当に一生懸命に生きているのです。
生きるってそういうことだから。

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