私はいつも、私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。
それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。
私の身もまた安らかに住まおう。
詩篇 17:8,9
「生きた沈黙」を大事にしてください。
生きた沈黙は人を温和にし、穏やかにしてくれます。
沈黙の意味を知り、育てることが大切です。」
人生を祝福する老いのレッスンより。
私が日本で学んだことの一つに「聞く」という愛があります。私は、日本では、とてもゆっくり話しました。
そして、時々は、とてもたくさん話ました。
説明しなければならない状況が多々あったからです。
それが、誰もが知っている常識なのか、私だけが知っている私の状況なのか、わからないことが良くあったので、それを確認したくて、私は自分の状況やニーズや問題を、順序立てて最初から話したものです。
電話でも良く話しました。
顔の見えない私の話し相手は、いつも、誰もが、私の話を良く聞いてくれました。
徹底的に聞いてくれました。
例えば、電話のオペレーターはそのように訓練を受けているのでしょう。
でも、病院や役所などで働く、ボランティアまでもがそうだったのです。
誰も私の話を遮って、簡単に答えようとする人はいませんでした。
超・高齢化社会への日本人の備えは「聞く人」の教育であったのでしょうか。
私は小さな人にもその家族にも「聞く人」として求められたいと願ってきました。
でも、日本では、それは特別な志でもなんでもなく、「働く」ことは「聞く」ことのようでした。
☆写真は日本で買った蚊取り線香の入れ物です
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