まことに私たちの心は主を喜ぶ。
私たちは、聖なる御名に信頼している。
詩篇 33:21
「クリスチャンが最も深刻な苦難の中でもなお喜ぶことができるのは、幸いな事実である。
困難が彼らを取り囲むとも、彼らはなお歌い続ける。
波が彼らの上を越えるかもしれない。
しかし彼らの魂は直ちに表面に浮かび上がって神の御顔の光を見る。
実にイエスの臨済こそ、とりもなおさず私たちの望める天国なのである。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。何が苦難で何が平和なのかよくわからない時ってあります。
苦しいけど充実していて、平和だけどドキドキしている時です。
臨済って、そんな何がなんだかよくわからない状態な時ほど強く感じることができるのかもしれません。
母のことを、時々「地方がはいってるから」とか「地方なのに」って言われて、ずっと意味がわからなかったけど、地方って痴呆のことだったことに最近やっと気づきました。
さっそく意味を調べてみたところ「痴」とは狂っていて分別がないこと、「呆」とは愚かでぼんやりしていることとありました。
そうか、母は地方、いえ、痴呆に見える時があるんだと少なからずショックを受けましたが、じっくりじっくり観察しても、私には全く、そうは見えないので、気にしないことにしました。
人はみな、どこか、狂っていて分別なく、そして時々は愚かでぼんやりすることもあるわけだから。
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