おはよう。
あまり時間がないのだけど、でもどうしても書いておきたいことがあって。
気持ちがうすまってしまうまえに。
昨日のメッセージのこと。
ヨハネの11章からでした。
ラザロの死を泣いたイエスさまの涙のことをずっと考えていました。
何ヶ月も。
蘇りだってなんだってできるイエスさまだって、死んで硬くなって動かなくなくって、知らない人みたいに黙っている友だちに再会して、とってもとっても悲しきくなって涙をこぼしたのだと信じていた。
一緒に笑ったり、食べたり、祈ったりしていたラザロと違うラザロをみて、死という現実みて、悲しくて淋しくてそして泣いたと信じていた。
だから、昨日、メッセージの中で、そう聞いた時、心から心からほっとして、うれしかった。
イエスさまの気もちがうれしかった。
同じ信仰の兄弟の声がうれしかった。