賢人が、私とはなとそして今日はかりんちゃんと一緒に礼拝に来ました。
私は、彼を、彼が生まれた教会に残し、託し、委ね、身を裂かれる思いで、毎日その日々か守られるようにと祈っていたので、何があったのかな?これは、一体どういうことなのだろう?私は、もしかして、とんでもない重荷を、何の関係もない彼に負わせて出てきてしまったのだろうかと、毎日心配していました。
そして、今朝やっと、「サーフィンして、それからかーさんの教会に行く」という彼の表情とフレーズを、普通に受けとめることができるようになりました。
何があったのか、何もなさすぎるか、このことにどんな意味があるのかは、さっぱりわかりません。
でも、神さまはごぞんじです。
だからいい。
彼は、どこであれ、日曜日の朝はクリスチャンの群れに加わって礼拝を捧げたいと願っていることだけは確かだから、今は、それでいい。
わかりたいけど、でも、いい。だいじょうぶ。
きっとすべては神のみ手の内