Sunday, May 8, 2016

お母さんへ

たった、今スカイプで話したところだけど、今日は母の日だから、ちょっとあらたまって書いてみています。
昨年の夏には賢人がお世話になりました。
おかげで、あの子にとって、忘れることのできない一人旅、卒業旅行となりました。
その数ヶ月後の秋、お兄ちゃんが喉の手術をし、年が明け、退院し、声を失くし、会社を辞め、離婚のような状態で家に戻ってきたんだったね。
その大変な時に、側にいられなかったこと、心からごめんね。
私は娘として、親に何もできず、親としても、子どもたちに何もできず、いつもは忘れているけど、今日のような日は、そのことをしみじみ思い、親にも子にもあらたまって「ごめんない」って言いたくなります。
でも、私以上に、お母さんを愛しておらるイエスさまの心は、お母さんの苦労を思って、痛んでいると私は信じているんだ。
お母さんが信じようと信じまいと、お母さんがひとりで祈ろうと誰かと一緒に祈ろうと、イエスさまは、いつもお母さんの側にいて、お母さんの祈りを聞いてくださっているよ。
イエスさまは私以上にお母さんのことをよくわかっておられるし、愛しているからね。
私が、変わったことはお母さんが一番よくわかるはず。
なぜ、こんなふうに強くなれたかっていうと、イエスさまが、私をそうしてくださったの。
ただ、信じて、受け入れて、悔い改めて、従う決心した、それだけで、私の、全ての価値基準が天国に向かって、少しづつ変わっていったのです。
お母さんへの数え切れない「ありがとう」のなかのひとつ。
お母さんが、私にピアノとピアノのレッスンを与えてくれたこと、心から感謝している。
今日も、教会でピアノを弾きました。
少しづつだけど、今だに上達し続けているって、自分で思っているんだ。
おかしいね。50歳なのに。
ありがとうはそれと同時に、辞めたくなっても辞めずに弾き続けていられること。
お母さんは、もう私に練習しなさいって、言わないけど、でも今は、イエスさまが私にがんばれって言ってくれるの。
それはすごい力です。
そして、安らぎ。
それが、お母さんが知らない、その後の私です。
お母さん、鍵はね、イエスさまが持っている。
受けとってほしい。
お父さんと、お兄ちゃんと、一緒に。
祈っています。
眞紀

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