Tuesday, May 24, 2016

演繹法?帰納法?

今日もずっと心の中で、神さまの「前進せよ、言葉は私がその先々でわたしが与える」、について思っていました。
具体的には、それは、一体どんなことなんだろうって。
聖書から直接語られながらデボーションをするって(それって何て言うんだけ、えっと演繹法、いえ帰納法、まっどっちでもよいけれど)、新鮮で楽しい。
聖書がまだ新しかった頃のわくわく感を取り戻しつつあります。
夢中でページをめくった、希望で胸がぱんぱんだったあの頃。
あんまり、1日何章とかって決めずに、満足すれは、すぐにやめるし、何章読んでも、何もピンとくるものがなければ、納得のいくところまでがんばって読んでみています。
そんな中で、その答えをみつけたいな。
前進って、どう意味なのだろう。
ますます技に精進しなさい、ってことだったらいいな。
あれをしよう、これもしよう、えとせとら。
もっと人々の中に入って行きなさいって、意味でなければよいな。
そこをどんどん小さくしていって、好きなことだけに、ちまちまと努力することを生活の中心にしたいって祈ってきたんだもの。
とまあ、いろいろ思うわけです。