★幸せな日曜日、主の日、聖なる安息の日の朝です、と書きたいところだけれど、賢人がいないとやっぱり、ちょと淋しい。
どのくらい淋しいかと言うと、夕べは夫とはなと3人でテレビで映画を見ながらごはんを食べたほど。
4人がけの小さなテーブルがひとつ開くのが、なんだか、淋しくて。
「UP」。
夫と観てよかった・・・。
素敵な夫婦の愛のお話しです。
★ここだけの話、はなが2、3日いないと、わりとほっとできるのに、賢人がいないときゅんと淋しい私。
なぜだろう。
私は、はなとの方が、つきあいやすく、あまり気もつかわずにいられるというのに。
不思議です。
夫とはながふたりで日本ででかけていた人生で最初で最後の(たぶん)10日間は、あまりの幸福感に罪悪感さえ覚えたほどでした。
なにしろ、帰宅すると朝片付けたそのままの状態。
しかも、人気(留守番者)あり。
作りおいたお昼ご飯もきれいに食べられ、片付けられ。
散らかし屋のふたり組がいないって、こうなんだ・・・と、あまりの乱れのなさに、新聞を開いて閉じないとか、靴下脱いで脱いだ場所に並べてみるとか、自らやってみちゃおっかな~と思ったほど。(あまりにも現実離れしていた現実に本気でそう思ったのです)
★でも、毎朝、泳ぎがら、家族のひとりひとりのために祈った後、必ず、最後にこう祈る私。
「家族は形を変え、ステージはどんどんと新しくなってゆきます。
4人で暮らせる黄金の季節の、終りが見えてくるような気がしています。
どうぞ、最後の日々を一日でも長く、大切に、そして楽しくすごさせてください。
それが一番大切なことであることを忘れずいられますように。」と。