Monday, November 7, 2022

砂粒大の意思と大きな憧れ


今日は久しぶりの4個弁当で、どど〜んとのり弁にしてみました。
イザヤを読みながら、また、読み終えて、断食とか、菜食とかにとっても憧れているのだけれど、でも気づけばいつも、食卓にもお弁当にもお肉やお魚が欠かすことなくのぼってしまっています。
なんとか少しづつでも、それらの割合を減らし、穀物や野菜や木の実や海藻などを食べて生きてゆけるようになりたいな。
そうすれば、もしかしたら、このわがままな性格も矯正されるのかもしれません。
眠る時間も短くできるし、長く働けるようになるし、良いことづくしのはずなのに、食べたい欲求のあまりの強さに自分でもあきれております。
例えば、純粋な野菜スープを作ろうと思いながら、でも一枚ぐらい・・・と、ベーコンを小さく切っていれてしまう。
そして、ベーコンがたったの一枚でも入っている野菜スープはやっぱりおいしいです。
かつおぶしパラパラのあるおいしさの威力の前には、私の意思など砂粒のようなものなのです。

No comments:

Post a Comment