Friday, November 11, 2022

Surely, Surely

あなたは徒歩の人たちと走っても疲れるのに、
どうして騎馬の人と競争しよう。
あなたは平穏な地で安心して過ごしているのに、
どうしてヨルダンの密林で過ごせよう。
エレミア 12:5

前の記事で「賢くなりたい」と書いて、ちょっとだけがんばってみたけれど、2日で挫折しました。
自然でいられないことほど、苦痛なことはないと悟りました。
ニューヨークに連れてこられたターザンのように、歩く練習をさせられている魚のように、それはなんども、かんとも、気ばかりを使ってなんの進歩もない努力に終わり、主の前に、挫折を宣言いたしました。
だから、(ここでこの接続語)今朝は、とても良い気分です。
今日は、幼稚園がお休みなので、目覚ましも合わせず、眠りたいだけ眠り、満足が得られるまで聖書を読み耽りました。
10から15のわずか6章だけれど、聞き捨てならないことばがぎゅぎゅっと詰まった、悲しみと喜び、呪いと祝福の幕の内弁当のようなこの6章に、じっくり、じっくりと耳を傾けておりました。
そしたら、7時10分に、賢人が、「行ってきます」と言いに来たので、「ん?さんぽ?」と聞いたら、「バイト」、・・・・。
えっ、バイト、やすみ、ちがうの?とガイジンみたいな日本語で再び聞き返す私。
ごめん、お弁当作ってないよ・・・。
でも、おかげで、今朝は本当に良い朝だった。
ごめんよ、賢人。
ありがとう、神さま。

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