Monday, June 17, 2013

『朝ごとに5.17』

神のうちにとどまっていると言う者は、
自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。
Ⅰヨハネ2:6
 
「クリスチャンは、なぜキリストにならわなければならないか。
彼らは自分自身のために、それをなすべきである。」
とスポルジョンは言う。
私はスポルジョンのこの考えが大好きなので、ふむふむと身を乗り出して、その先をじっくりと読み進めます。
次に福音のため。
痛ましい福音として、次のような文章がありました。
「聖なる御手にこれらの傷を負わせたのはだれか。
偽善の短刀をひらめかせながら、信仰を公言する者である。
羊の皮を着た狼であり、口実を設けておりに入り、外部にいる獅子よりも羊をなやませている者である。
ユダの口づけほど鋭い凶器はない。
無定見な信仰公言者は、冷笑をあびせかける批判家や背教者以上に福音を傷つけている。」
そしてキリストのためにキリストに習えとスポルジョンの教えは続きます。
キリストのためが第三の理由だなんて・・・・。
あなたの謙虚の一滴でも私が持っていたならと。
だから私は祈ります。
天の上から全てを見ていてくださり、
聞いていてくださり、
守ってくださる神さま、
どうか私を、私の心をお守りください
私を福音を傷つける者ではなく、
福音を守る者へと変えてください
私の過ちをどうぞ、お赦しください
そして、新しく作られた新しい気持ちで
今日という新しい1日を
あなたの福音をたずさえて
元気にすごすことができますように
アーメン
ここまで書いて、C.H.スポルジョンの『朝ごとに』を閉じようとしてふと気づいたら、それは5月17日の箇所でした・・・まいっか。