見よ。わたしは命じて、
ふるいにかけるように、
すべての国々の間でイスラエルの家をふるい、
一つの石ころも地に落とさない。
アモス9:9
なじみのない聖書箇所だけど、でも、これこそが、人類の永遠の疑問の答えかもしれないって思って、アモス書の9章をくり返し読んでみる。
それから「主の支配の手は、破壊を目的にした敵の手段を用いてその穀物をきよめられる」というスポルジョンの解説をじっくり読む。
実質のないもみがらは、風にふきとばされ、そして石ころはどうなるのだろう・・・。
だいたい石ころなんて、一目瞭然に異物であるのに、それでもふるわれるということはどういうことなのだろう・・・。
私は本物の穀物として、激しいゆさぶりの中でも幸せでいよう。
真の小麦として、聖なる倉に行く日を信じよう。
ああ、もうすぐ夏がくる。
そして、ゆさぶりもきっといつか終わる。
きっともうすぐ終わる。
アーメン