Sunday, June 2, 2013

私はヨセフ


主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。
彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た
それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた。
主人が彼に、その家と全財産とを管理させた時から、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を祝福された
それで主の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった。
創世記39:2~5
左の記事とは何にも関係ないけどお誕生日をむかえた
えりかちゃんと賢人

今日の朴先生のメッセージ箇所です。
すごいですね。
時間的、立体的なメッセージに頭がくらくらしてしまいました。
ここの箇所が頭の中の大きな透明の立方体の中に時間の流れにそって、それぞれの行動が映像になって流れ、祝祷の時には、感動で立っていられないほどでしした。
私が一番、大好きだったのはこの「見た」のところの朴先生の解説です。
ああ、もう一回聞きたい。
録音してあるのかなあ・・・。
そう、私は、ちゃんと見られているのだ。
だから絶対に、決して、何にも、無駄じゃない。
私は、黙っているけど、でも無言のメッセージを放ちながら生きている。そう、信じてみよう。
ヨセフが大好きです。
私は今まで自分がヨセフのような不幸に見舞われような気持ちに何度も何度もなって、そして、その数ほど、ヨセフのように幸せになってきたことを思い出すことができます。
ひとつひとつをくっきりと覚えていて証することができるのです。
それは、見捨てられたような気持ちだった私をいつもまわりのノンクリスチャンたちがひきあげてくれたからなのでした。
私はずっとずっと今日まで、そのことに気づかずにいました。
誰かが私のことを、じっと見ていたのです・・・。ハレルヤ!
*記事のタイトルを「私はヨセフ」にしたのには訳があります。メッセージの後に朴先生に、「素晴らしいメッセージをありがとうございました。私もヨセフになりたいです。」と言ったら、彼に「いいえ、あなたはすでにヨセフです。」と返されたのです。心情的には「ヨセフになりたい」がしっくりくるタイトルだけど、でもあえて、信条として、「私はヨセフ」にしてみました。