主は、そのなだめのかおりをかがれ、
主は心の中でこう仰せられた。
「わたしは、決して再び人のゆえに、
この地をのろうことはすまい。
人の心の思いを計ることは、初めから悪であるからだ。
わたしは、決して再び、わたしがしたように、
すべての生き物を討ち滅ぼすことはすまい。
地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、
寒さと暑さ、夏と冬。
昼と夜とはやむことはない。
創世記 8:21,22
昔からずっと、創世記のこのみことばが大すきでした。
聖書には、何重にも線がひかれ、今までも、どれほど、このみことばに心がとまったのかがわかります。
でも、どうしてこのこのことばが好きなのかは、あまり気にしたことがありませんでした。
でも、今朝、すごく思った。
「人の心の思いを計ることは、初めから悪であるからだ」という神さまの告白が大すきなのです。
そういう悪を、あまり、人は、私も、悪と思わないけれど、実はすごく悪なのです。正しそうに見える分、とっても、とっても、悪なのです。
人のこと、本当は良く知らないことを、色々言うことは実は、悪なのです。
「繊細」とか「霊的に敏感」とか「わかっちゃうのよね、私」とかっていう美辞麗句を頭に持ってきたところで、それって、所詮、「悪」なのです。
余計な詮索や憶測や分析のことを、悪と知っているのは、すぐに、「わかんない」と言う子どもと、とっさに「私知りません」と無責任に言う大人だと思うけれど、その方が実は、全然ましなのだと思う。
私は、ましを選びたいです。
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