Monday, September 29, 2014

イザヤ43章を読みながら考えた

主は、あわれみ深く、情け深い。
怒るにおそく、恵み豊かである。
主は、絶えず争ってはおられない。
いつまでも、怒ってはおられない。
私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、
私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。
天が地上はるかに高いように、
御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。
東が西から遠く離れているように、
私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。
父がその子をあわれむように、
主は、ご自身を恐れる者をあわれまれる。
主は、私たちの成り立ちを知り、
私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる。
詩篇103:8~14
今朝は、自分自身と賢人のために、同じ祈りを祈りました。
祈りのカードの順番でまわってきた祈りだけど、祈るうちに、いつしか、「私」は、「私たち」、になり、そして「彼」になりました。
主が全てを新しくしてくださっていること、あらゆることについて新しくし続けてくださっていることに感謝しつつ、過ぎた日々に囚われずに、真っすぐに前を向いて歩み続けることができますようにと。
祈りながら、何かそのために彼にしてあげたくなりました。
過去と未来を分けて今を生きるために思い出すことのできる何か。
彼が望んでいること。
願っていること。
親の私たちにしてあげられること。
新しい自分を実感できるなにか。
なんだろう。
そして、もう一度聖書を開きます。
今度はイザヤの43章を・・・。